Darkness

Darkness 9話 Iemmmon






メープルのバーにある奥まった個室。いかにもVIP専用のこの場所は、今も昔も彼らのための場所だった。

そんな個室に集った4人は一通りの話を済ませそれぞれ硬い表情をしていた。そしてビジネスでは出すことのない感情を滲ませていた。

RRRRRRR

着信音を響かせるスマホの持ち主はかけてきた相手の名前を見て通話のタップをしてスピーカーを押した。

「もしもし。」
「花沢類、あたしよ。もう頼れるのは花沢類しかいないの。」

個室に響く女の声。電話相手に必死ですがるその声を聞いても彼らの表情は変わらなかった。

「お願いよ…」
「何か言ってやったらどうだ?」
「!その声は西門さん?!」
「ああ、だが俺だけじゃないぜ。みんないる。」
「みんなってどういうことなの?」

スピーカーから流れる声色が変わる。声の主は今泉つくしだった。

「どうって、親友が集まってるだけだけど?大きな声で話すからさ。」

聞かれた理由を答える類。スピーカーを押した事は告げなかった。

「助けてくれないの?」
「そうみたいだね。みんな今の牧野には失望してる。」

類の声は抑揚がない。

「失望?なんで失望するのよ。歳をとったのよ、変わるのなんて当たり前じゃない。」

金切り声ではないが批判を含んだその声はその場にいる彼らの心情を理解できていない。

「でも変わって欲しくなかった。お前は俺達を変えた特別な存在だったから。」

あきらが諦めに似た声を出す。

「男の夢を壊したとでも言いたいの?あたしの進む道があんた達の理想と違っていたから…」
「お前はまっすぐな女だった。」

司の低い声がつくしの非難の声をかき消す。

「曲がった事を許せず、権力を嫌い、他人のために自分を犠牲にするお人好しな奴だった。」

それはかつての自分。過去の自分を持ち出されてつくしは下唇を噛んだ。

「いつまでも子供じゃないわ。長い物に巻かれる事も覚えたの。」
「そうみたいだな…」
「それがそんなに悪い事なの?あたしはそうは思わないわ。」

自分は正しいと間違ってないと反論するつくし。だがスマホからの声が続かない。
つくしのスマホを持つ手が震える。
電話の向うで顔の見えない彼らの様子を伺い知る事ができず、つくしも二の句が出てこなかった。
心を落ち着かせようともう片方の手にあるプラチナのリングを目の前にかざす。

ー里佳子さん、里佳子さん、、

リングのある手を握り自分はどうやっても里佳子になれないのかと悔しくなる。
だが諦めきれない。自分は里佳子になるんだ。なるためにはこの危機を乗り越えるのよと自分を叱咤する。
つくしは唇を噛み、亡き里佳子の言葉を思い出す。里佳子ならばこの危機をどう切り抜けるのかと解決策を探るべく、里佳子の言葉を反芻していった。

_利用出来るものは利用する。私の思い出も何もかも…でも4人揃っていては使えないわ。他にはない?他に…利用出来る物は…

その時つくしの脳裏にある人物が思い浮かんだ。



「そうね。あたしが間違っていたわ。あんた達の言う通りよ。…あたしは今泉に騙されていた。」

「……分かってくれたの?」

類の優しい声が耳に届く。
つくしはニヤリと口角を上げた。

「ええ。目が覚めたわ。」
「今泉と別れるのか?」

あきらの声だった。

「そうね。でも時期を見ないと…今別れたら周りが不審がるわ。あんた達がせっかく記事を抑えてくれたのに、また付き纏われちゃう。」

つくしは甘えた声になっている事も気づかない。

「…付き纏われたなら、また追い払えばいいさ。」
「西門さん…でもそんなにご迷惑はかけられないわ。」

つくしは彼らの顔が見えない事に取り繕う必要のない高揚感を覚えていた。

「大した苦労じゃない。お前のためならやるさ。」
「ありがとう。本当に…ありがとう。」


つくしは里佳子になれたと興奮した。
手持ちのカードを最大限に利用出来たと…


電話を切り、スマホを耳から離す。
通話時間の表示を見て、笑みが零れた。

自信が湧いてくるのを感じる。
きっと今の自分は里佳子に負けぬ妖艶な笑みを浮かべているだろう。

そう、新次郎とて自分のカードでしかない。
不正がバレたのは新次郎の落ち度でしかない。それなのに自分を非難するなんて逆ギレも甚だしい。民自党で飼い殺されるのならその方が自分には好都合。こっちはその民自党の重鎮を動かせるカードを持っているのだから。


***


カチャンと音をたてテーブルの上に放り投げられたスマホのディスプレイが消えていく。

男達は口を閉ざしたまま、しばらく無言が続いていた。

「変わってないところも残ってたね…」
「ああ。」
「あの癖好きだったんだ。正直者のあいつらしくてさ。」
「だな。思っている事がダダ漏れでよ…」

懐かしがる声が途切れ、「皮肉だぜ。」と悲痛な色へと変わる。


「あいつ自身が今泉を切りやがったか…
この耳で聞いてもまだ信じられねぇ…」

それに応える声はない。
だがそれこそが同意を表していた。

「あいつはもう救えないか?」
「…今泉里佳子が生きていたならそれも可能かもしれないけど、ね。」
「生きてりゃって、そもそもああはならないだろ。」
「まぁな。」

再び重苦しい空気に包まれる。

それを嫌ったのか司がガタンと席を立った。

「帰るぜ。」
「お前はどうする気だ?」

振り向いた司に表情は無かった。

「どうもしねぇよ。俺の牧野はもういねぇ…あの女が死んだ時に殺されたみてーだからな。」
「復讐するのか?」
「死んだ相手にか?」
「だよな…」

男達の力をもってしてもつくしを取り戻せない無力感が広がる。

3人に背を向けドアに手をかけようとした司に総二郎が話しかける。

「司。」
「何だ。」
「お前、牧野を抱いたか?」

司はだらんと手を降ろし、顔だけ振り返った。

「ああ。それがどうした?」
「良かったか?」
「…何が言いたい。」

総二郎を睨む司。司には総二郎の意図が分からなかった。

「女の身体を知れて良かったなって事だよ。お前、牧野以外とはヤル気すら起こらないだろ。」

司がつくしと別れたのは高校生の頃。2人はまだ身体の関係にはなっていなかった。

「お前ほどの男が童貞のままだったら、この先手を出すのはタバコか酒。とはいえ、酒に酔えない身体だからな。死に急ぐのが目に見えてるんだよ。」

ぶっきらぼうだが総二郎の気遣いに触れ、司は「放っとけ。」と小さく返した。

そんな司にあきらが口を挟む。

「俺も牧野を抱いたぞ。総二郎お前もだろ?」

司の目に驚きが広がる。

「俺から手を出した。だがあいつは拒否するどころか、女の欲に溺れていったぜ。」

わなわなと司の拳が震えている。

「総二郎お前の時は?」あきらは総二郎にも同意を求め、総二郎は「爪を立てて乱れたぞ。」と答えた。

司は青ざめていた。司の中にあるつくしの面影がガラガラと音を立てて崩れていく。

「なんだよ。やってないのは俺だけ?
ってそりゃ結婚してるんだし、牧野だって初めてじゃないでしょ。今泉は下手じゃなさそうだしね。」

類がしらっと口を出す。
司は類を睨んだ。何故お前がそんな風に言えるのかと。

「あの毒女の手にかかってあの牧野がいる。少し考えれば分かるだろ。」

苛立ちを隠さず類は吐き捨てる。

「お前も牧野があの女に殺されたと言っただろ。あれはもう牧野じゃない、牧野の身体を乗っ取った今泉の前妻だ。」

だからつくしを救えない。類は声を荒げた。

男達はまた口を閉ざした。否、開く事が出来なかった。

ふらつきながら再び司がドアへと進んだ。その足は重く引きずっているように見える。


「司、女を抱けよ。牧野の身体を忘れるくらい。…お前にはそれが必要だ。」

司は答えなかった。だが総二郎が何を言わんとしているかは理解出来た。

「類、お前もだ。」
「なに、カウンセラーのつもり?」

おちょくる様に返されたが総二郎は類をじっと見返し、類はその視線に目を背けた。

バタンと司の出ていったドアが閉じる。

それを横目にあきらも「俺も帰るわ。」と席を立ち、無言のまま総二郎もそれに続く。

類は2人が出ていった後、グラスに手を伸ばそうとし、それを指で弾いて席を立った。

誰もいなくなった個室にカランと氷の溶けた音が鳴り響く。

だが男達の心は凍りついたままだった。


***


_数ヶ月後。
都心を離れた海辺に近い街につくしの姿があった。

ベッドと来客用の椅子があるだけのガランとした一室は、清掃が行き届いているが暖かみがなく静かだった。

ここは精神科病院。病室には厳重に施錠される病棟もあり、階が違えば違う空気が流れている。


つくしはここに入院していた。
病名は心労による体調不良。だがつくしの身体は健康体だった。入院時は心もそうだったが……今は崩れてきている。

ここには転院してやってきた。つまり前にも別の病院に入院していたのだ。
そこは大学病院の系列の総合病院で入院病棟も総合内科だった。もちろんVIP待遇の個室に入っていた。

入院に至った経緯はこうだ。
新次郎から距離を取ろうと言われ、離れる理由をつけるために入院した。つくしも距離を取る事に反対はしなかった。その方が彼らと会いやすいと考えていたからだ。
だが、いくらスマホをタップしても彼らと繋がらない。
都心にあり入院患者や見舞い客も多い病院で会うのもまずいかとつくしは退院まで我慢する事にした。

退院の許可は思ったよりも直ぐに出た。つくしよりもVIP待遇の患者が入って来たからである。だが新次郎がつくしの退院に難色を示し、つくしも時期早々と判断し、やって来たのがこの病院だ。

ここに来れば繋がると思った彼らの電話は呼び出し音すら鳴るとこはなくつくしは焦った。そのうち自分のスマホも使えなくなり、つくしはここでようやく閉じ込められた事に気づく。


それから数ヶ月どう過ごしてきたのか分からないほどつくしは社会と遮断されていた。
精神科病院には外来の待合や病院スタッフの詰所にしかテレビはない。一般病棟にありそうなラジオですら、つくしの身近には無かった。
詰所のテレビでは司と談笑する新次郎の姿があった。笑わない司の側でにこやかな笑みを浮かべている。


つくしは朝起きてどこに行くでもなく身支度し、3度の食事を取り、トイレも部屋の中にあるため外出をする事もなかった。
窓から入ってくる風で季節が春に近づいているのが感じられた。


そんなつくしに訪問者が現れる。
病院スタッフ以外と話すのも数ヶ月ぶりだ。

つくしの表情には感情がなかった。

だから、その男が差し出した封書の中身を見ても反応する事はなかった。




「お大事に。お身体にお気をつけて下さい。」

玄関まで見送ってくれたひとりの看護師に声をかけられ、つくしは無言で軽く礼を返した。

病院のすぐ目の前にあるバス停まで歩いて行く。

その時さあっと風がふき、つくしの身体が揺れた。

それに気づいた看護師が走ってつくしを支える。

「大丈夫ですか?牧野さん。」

「え、ええ。すいません。」

看護師に支えられつくしはバス停に辿り着く。バスに乗り、振り返るとその看護師が手を振っていた。

つくしも手を振ろうと上げるが、その看護師は振り返って背を向けてしまった。

つくしは胸のあたりで止まった手を膝に戻す。


目からは涙が溢れていた。

乗客のいないバスで、つくしはひとり泣いていた。

これが今の自分。

なぜ…と声も出せずに呟きながら。
拍手ありがとうございます♪
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