本編 『In The Forest』(完結)

In The Forest 56

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第56話


類に請われ、つくしも類の隣に、寄りか掛かるようにして立つ。
こうしていると、まるであの非常階段に居るときのようだ。
類は黙ったままジャケットを脱ぐと、つくしの肩に掛けた。

「あ…いいよ…」
「いいから。そっちの方が寒そうだし」

確かに、ジャケットの下にシャツを着る類に比べ、ドレスの袖は飾り程度のシフォン生地。
素直に礼を述べ、そのまま肩から掛ける。
先程まで類が着ていたジャケットには類の体温が残っており、それが冷えたつくしの肌を温める。

静かな夜。
聞こえるのは、ヴァイオリンの音色のみ。
つくしが黙ったまま、隣に立つ類の顔を見上げる。
空を見つめる類の瞳。
まるで、現世(うつせ)の事など何も見ていないかのように。


「……歪んでるよな……」
「え……?」
ぽつりと呟く類の言葉は、聞き落としそうな程小さい。

「な…何が…?」
「さっき居た……今、舞台でヴァイオリンを弾いているの。俺の母親」
「……うん……」
つくしの予想したことを類が告げる。

「本当なら、ジュリアード音楽院に留学する筈だった。それを辞めて、父と結婚した。
…無論、恋愛じゃない」
「……………」

初めて聞く、類の両親の話。
つくしが聞くべきではないのかもしれない。
そう思うのだが、類を止める言葉が出て来ない。
類の語りは尚も続く。

「…俺の祖父は妾腹でね。
曾祖父の本妻に跡を継ぐ男が居なかったから、本妻の実家から一緒に付いてきた女中が妾になり、生まれたのが祖父」
「…………」

つくしも歴史を多少は学んでいるため、昔の良家にそういった風習があったことは、知識として知っている。
だが改めて類の口から聞かされると、何とも言えなくなる。

「祖父はそれを気に病んでいた。
腹違いの姉や、その夫達に対し持つ劣等感。
それを払拭するために『名門』と言われた家出身の祖母と結婚をした。
会社が株式化されると、他からの関与を避けるために、自らがその殆どを所有するようになった」
「……あ……」

今日日珍しい、花沢物産の同族経営。そのルーツの根底にあるもの。
それが垣間見える、類の告白。

「そんな祖父だから、当然、父にも同じことを求める。
名門子女との結婚、株式の独占保有……」

類にしては珍しい程の饒舌ぶり。
まるで、心の中に溜まった膿をはき出すかの如く、流れるように言葉が紡ぎ出される。

「多分、父は父なりに、考えてたんだろうね。
丁度…今の俺と同じくらいの頃…他に先駆けて、花沢物産を上場させようとして、失敗した」
「え…?」
驚くつくしの声に、類がゆっくり視線をつくしに向ける。

「海外投資ファンドに買収されそうになった。時期尚早だったんだろう。
ま…上場直前で止めることが出来たけど…」
「そう…なの…?」
つくしの声に黙って頷く。

「その時失った会社の信用、経済的損失の補填、それに父の、次期社長としての資質を問う声。
それらすべてを押さえるため、祖父は西園寺家の娘との縁談を用意した」
「……それが…? さっきの…お母さん…?」
「西園寺望恵(さいおんじ もえ)
政界や経済界に顔が効くと言われた、西園寺大老の次女。
花沢は、西園寺と縁続きになることで、顔を広めると当時に『名門』の血を揺るぎないものにしたかった。
西園寺は、名門とはいっても経済的に苦しかったから、花沢の経済的支援が欲しかった。
お互いの利益が合致したって訳」

-所詮、狸の化かし合い。
類の嘲笑染みた眼が、そうつくしに告げる。

「西園寺の長女…伯母は親の縁談を一蹴して、外国人と結婚した。
まぁ…今は別れて、別の男寡と再婚しているけど。
でも、母は…違う」

ふと類の視線がつくしから離れ、再び空を彷徨う。

「留学が決まっていたのに、自分より10も離れた男との閨閥結婚を断る事も、
生まれた子供が、その男に責められるのを止める事も、
何も…自分では出来ない人だった…」


以前、類の別荘で過ごした夜に聞いた昔語り。
幼い類を連れて、祖母の所有する別荘に類を連れてきたと聞いていた。
あの時は、只、祖母の優しさと、洋館の柔らかな雰囲気が、閉ざした類の心を癒やしたとしか言わなかった類。
その裏にある、つくしには知らされなかった、もう一つの真実。

『母が類を連れて、別荘に来る』
それは自分の夫にも父にも逆らえない、類の母に出来た唯一の行動。


「……滑稽だよね。
『家』の為に止めさせられたヴァイオリンを、『家』の為に見世物に使う。
そんな道化染みたことにも逆らえない。
滑稽過ぎて………もう…嘲笑すら出て来ない。
………歪んでる……家も、親も、俺も、……何もかも……」


目線をやや上に上げる類の表情は、つくしからは伺い知る事は出来ない。
だが、つくしには判る。
泣きそうな、でも泣くことの出来ない、類の苦しげな表情。


テラスに寄り掛かり空を見つめる類の姿は、そのままこの大気に溶け込み、消えてしまいそうな程儚い。


-行ってしまう…! 類が何処か遠くに…!

何処に? と問われると判らないが、本能的に感じた何か。
たまらずつくしが叫ぶ。

「類…!」


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