Welcome to my blog

駄文置き場のブログ 2nd season

Article page

In The Forest 89

第89話


「おはようございます」
「おはようございます。あれ? 牧野先生。どうしたんですか?」
「え…えっと…否、別に…」
しどろもどろに答える。

普段のつくしであれば、コートの下に着ているのはタイトスカートのスーツかパンツスーツ。
多少ラフな感じだとしても、ジャケットにカットソーと、どちらかといえばビジネス的要素の服が多い。
だが今日着ているのはAラインのワンピース。
シンプルな作りなので、職場で接客をするにしても浮く感じはないが、何時ものつくしとは明らかに異なる装い。

最終判決を明日に控えたこの日の夕方。
類と会うことになっていた。
場所は事務所でも花沢物産でも、いつもの茶房でも無い。


-非常階段で待ってる。

そう告げる類の言葉に自然に是、と答えていた。
あの場所で類に会いたかった。

朝起きて着替える時、自然と今着ている服に手が伸びる。
先日購入した、真新しいワンピース。


-…別に…そういうんじゃないけど…
自分にも、色々と聞かれる美和にも必死で言い訳をし、慌てて席に着く。
今日は訪問も来客予定も無いので、別件裁判の資料作りをする予定だった。
黒板を見ると、志朗が直行になっている。

「あれ…? 貴子先生。シロ先生、今日直行でしたっけ?」
「ん…? ああ、何か急に連絡が来たみたい。
なぁに? 何か急ぎがあった?」
「あ、否。来週の裁判の件で、ちょっと伺いたかったんですけど…」

つくしの言葉に、お昼過ぎには戻ると思うと告げられ頷く。
そのまま自分の仕事に入る。
いつもならば忙しく、あっという間に過ぎる午前中が、今日はなかなか時間が過ぎない。
30分程集中して書類を整理し、時計を見て時間を確認する。
それの繰り返し。

-全く…。今は仕事仕事…!
軽く伸びをし、再び書類に取り掛かった。




「牧野先生。お電話です」

会議室に置いてある法規集を確認していると、香取がつくしを呼びに来る。
電話の相手は鳴沢だった。

『牧野先生。今日、お時間ございますか?』
「え…っと…。今日ですか…?」

不意に時計を見る。今は14時。
帝都大学病院までは、電車を使っても30分も掛からない。
鳴沢は午後の往診がお休みなので、この後ならいつでもいいという。
裁判が終わったら挨拶に行こうと思っていたつくしは、少し早いがそれに応じることにした。

今日は他に予定も無いので、そのまま直帰しても大丈夫そうだ。
思ったより早く『あの場所』に行けるかもしれない。
貴子や美和にその旨を告げると、事務所を出る。
地下鉄に乗り座席に座ると、ふと目に付く裁判書類。

-…でも…。鳴沢先生、今頃何だろう…?

思わず首を傾げる。
今までにも2~3度、鳴沢と話す機会はあったが、それらはすべてつくしから訪ねて行ったもの。
それも当然だ。
鳴沢に頼んだのは、ゲオルグが作成した治験データの翻訳と、医学的内容で不明な処の確認。
被告でもない鳴沢が、弁護士のつくしに用がある筈も無い。


-この前の夜勤の時、病院内で花沢さん? らしき人の姿を見たのよ。

不意に、先日優紀から聞いた話が甦る。
あの時に感じた、小さな棘のような痛み。

-…まさかね…。

何とも言えぬ予感が過ぎったとき、アナウンスが下りる駅名を告げる。
慌てて鞄を掴むと立ち上がった。







「すみません。お呼びしておきながらお待たせして…」
「否…。お忙しそうですね」
入ってきた鳴沢に、つくしが立ち上がり会釈をする。

約束した時間に病院に着いたのだが、鳴沢は回診中で遅れて来ていた。
予定が長引くことはままあることで、以前訪問したときもそうだった。
これは優紀との待ち合わせの時にもあることなので、つくしはあまり気にしていない。
鳴沢はつくしに席を勧めると、自らも椅子に座る。

「…裁判は明日、最終だそうですね」
「はい。お陰様で…。
先生にはお世話になり、ありがとうございました。
本当はもっと早くにお伺いするべきだったのですが…」
つくしが頭を下げるのを、否、否、と手で制する。

「…明日は、花沢社長も行かれるんですよね…?」
「え…? ええ。そう…ですね…」

突然類の名が出て驚くつくしの頬が、僅かに赤くなる。
これからその類と会う予定なのだが、それを言うのも何となく憚られる。
だが鳴沢は、つくしの様子とは真逆に難しい顔をした。

「…牧野先生。実はひとつ、お詫びしなければらないことがあります」
「お詫び…?」
首を傾げるつくしに、鳴沢は尚も続ける。

「先生にお渡ししている治験データは、すべてではありません」
「……え……?」

鳴沢が机の広い引き出しを開け、1通の封筒と取り出すとつくしに差し出す。
薄い封筒。中身には1名分のデータが入っているという。

嫌な、予感。
先程感じた、小さな棘のような痛みが大きくなるのを感じる。
無言で封筒を受け取り、中の書類を取り出す。
書類はすべてドイツ語で記載されていた。
類が、これは翻訳しないで欲しいと言っていた為らしい。

治験データはすべて同じ様式で書かれているため、細かい内容はともかく、どこにどのような内容が書かれているのかは判る。
1枚目の用紙に書かれた文字が目に飛び込んできた。


Name : H.R(M)
Nationalität : J(Lage:F)
Alter : 22

パーソナルデータとして記載されているのはこれだけ。
さらにデータの最初の日付から、治験開始が5年前であることが読み取れる。

最初、イニシャルからそれが、ゲオルグの妻、仁実・リートミュラーのものかと思った。
だが後ろの括弧書きに『M』とあることから男性(Mann)であることを示している。

国籍『J』、括弧書きで場所が『F』、年齢が『22歳』
ここまで見て、つくしの中にふと閃くものがある。

『J』は『Japan』
場所は所在地を意味し『F』で『Frankreich(フランス)』
22歳の男性で、イニシャルが『H.R』

つくしには思い当たる人物が居る。
5年前22歳の日本人男性で、当時、フランスに居た人物が一人だけ。

「…あの…これ…」
「……………」
「…だって…違いますよね…? 
そう…だって、花沢類のイニシャルじゃない…!」

つくしが縋るように尋ねるが、鳴沢は僅かに目を伏せる。

「……牧野先生。教授の奥様は日本人です。
日本では、ファミリーネームが先に来るということをよくご存じです。
多分…患者特定を避けるために…業とそう書かれたのだと思います」
苦しげに言う言葉が、つくしの考えを肯定する。

「…………うそ…………?」
「……牧野先生に、お願いがあります……」

鳴沢がつくしの方へ向き直り、頭を下げた。







「英徳学園に行って下さい!!」

転がるようにして病院を出たつくしは、表玄関で客待ちをしているタクシーに飛び乗る。
類との待ち合わせ時間にはまだ2時間以上あるのは判っていたが、もう既に来ているかもしれない。
とにかく早く行きたかった。
タクシーの中で、つくしは祈るように指を組む。
思い出されるのは、先程の鳴沢との会話。



類は、ゲオルグの患者で治験者の一人。
状態は既に、外出を許可出来る状況ではないという。
流石に今は、仕事をストップしているようだが
それでも尚、明日の裁判には出ると言って聞かない。

「…牧野先生。花沢社長…花沢さんは手術を受ける予定なんです」
「手術…? だって…」
「まだ日本では認可されておりませんが、海外では既に何件か行われております。
ご本人と確認して…準備を今まで行ってきました」
「助かるんですよね!?」
つくしの問いに、鳴沢の言葉は詰まる。

「……実証例が…少ないもので…何とも……」
「そ…んな…」
「本当ならば早いほうが良いんです。
けれど…どうしても裁判結果だけは…と。
ですからせめて、明日の法廷に立つのだけは思い止まるよう、説得して下さい」
悲痛な面持ちでそう告げる。




校門前にタクシーが辿り着き、急いで下りる。
類が話は通しておく、と言っていた通り、名前を言った途端すんなり中に入ることが出来た。
足が向かうのは、懐かしい非常階段。
外階段を上りきった処に、求める人の姿が見える。



その人は、昔と同じように冬の日差しを受けて眠っていた。


関連記事

Category - 本編 『In The Forest』(完結)

0 Comments

Post a comment