駄文置き場のブログ 2nd season

□ 本編 『In The Forest』(完結) □

In The Forest 90

第90話



靴音が聞こえる。
聞き慣れた、軽やかな靴音。

-花沢類! ここで寝てると風邪引くよ。起きて!
少し呆れたような声。

-…何か、疲れちゃったな…。
落ち込んだ時の哀しい声。

-卒業おめでとう。…もうここに来ないの…?
喜びと、少しの不安を含んだ声。


笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣き、怒りたいときに怒る。
それまで類の側に居た誰とも異なる人物。
今日ここで会う彼女は、一体どんな顔を見せてくれるのだろう?
そう考えるだけで、心が温かくなる。

-…だから早く来てよ。
ここで待つのは嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど…早く会いたい。
とびきりの笑顔で俺の名前を呼んでくれる…その顔が見たい。


靴音が近付く。もうすぐここに来る。
類がうっすらと眼を開ける。

-なに泣きそうな顔してるのさ。…笑ってよ。
俺が見たいのは笑顔なのに。
夢くらい、俺の大好きな笑顔を見せてよ。



夢現の類の前に、今にも泣き出しそうなつくしが立つ。
類がうっすらと眼を開けた途端、つくしがしがみつく。
類の体温を感じた途端、つくしの中で堪えていたものが溢れ出す。

「…る…類……。どう…し…て…?」
声はきちんとした言葉にならず、つくしから嗚咽が洩れる。

「………まき…の………?」
すっかり夢だと思っていたつくしが現実のもので、自らにしがみついている。


「牧野…?」

次第に頭がクリアになり、今の状況が判明してくる。
どうやら、ここにつくしが居るのは夢ではないようだ。
類が様子を見るため、身体を起こそうとするのだが、当のつくしが離れるのを拒絶するかのように、尚一層腕に力を込める。
いつにない、積極的なつくしの態度に一瞬驚くものの、そっとつくしを抱き寄せる。


-温かい。

類に抱きしめられて、つくしは耳元で類の鼓動を感じる。
規則正しく刻む音。
これが明日にも、否、今ここで止まるかもしれない。
類が居なくなる。
そう考えただけで言いようのない恐怖がつくしを襲う。
気付いた時には、懇願の言葉が口から出ていた。

「…ねが…い…類」
「…え……?」

身を強ばらせるつくしの様子がおかしいことに気付き、覗き込むように視線を向ける。
ビー玉のような不可思議な色の瞳が、柔らかくつくしを見つめる。

「………聞いた。鳴沢先生に……」
「………そう…………」

類が軽くため息をつく。
ドクターストップは先の一日入院の時から出ており、明日の出廷も猛反対されていた。
外出だけでも厳しいのに、心労負担の増える法廷など以ての外、と。
『いざというとき待ったは聞かない』と宣告されていた。
そして今、つくしは自分の身体のことを知っている。
それは、類の身体が『その状況』にあるということだ。


「…お願い…。病院に戻って…」
「牧野、それは」「お願い…!」

振り絞るようにして告げる。
泣きたいのを必死で堪えて。

「お願い、類。…貴方が好きなの。…誰よりも貴方が…。
私…私は……類を……失いたくない……」

それ以上はもう言葉にならない。
止めどなく涙が溢れてくる。

つくしの泣き顔を驚き見ていた類だが、次の瞬間、つくしに触れるだけのキスを落とす。
触れたのはほんの一瞬。
突然の事に驚いたつくしに、ふわりと柔らかく笑いかける。

「………先に言われた………」
「……え……?」
「……つくしが好きだよ。誰よりも何よりも」

類が再び腕に力を込め、つくしを引き寄せる。

「教授に、何を聞いた…?」
「…え……えっと…その……類が……手術を受けるって……。
まだ…日本では未認可で…」
しどろもどろに聞いた事を口にする。

「…俺は、死なないよ。今…ここでは」
「……類……?」
「信じて。俺を」
僅かに顔を起こしたつくしのこめかみと眉間に、軽くキスをする。

「る…い…?」
「…もう怒らせないから…」
「…そっ…そんなにいつも怒ってないよ…!」
むくれそうになるつくしの頬にもキスをする。

「…いつも笑顔でいられるようにするから…」
「え…笑顔って…」
途端に顔が赤くなるつくしの瞼にキスをする。

「…絶対、泣かせないから…」
「…類…」
再び溢れそうになる涙を指で拭いながら、つくしの唇にもう一度キスを落とす。

「…だから、俺の側にいて。これからずっと…ずっとずっと」

返事を強請るようにもう一度、驚き尋ねようとするともう一度、つくしが肯定の言葉を口にしようとするまで、何度もそれを繰り返す。
それ以外、聞かないとでも言うかのように。

「…返事は…?」
もう何度キスされたか判らなくなった頃に、笑顔で類が尋ねる。



深い森の中でつくしの手を引く誰か。

-あそこが出口だ。
少し前を歩くその『誰か』が振り返る。
出口の光に反射して見えなかった『誰か』の顔が見える。
柔らかく微笑む、ビー玉のような瞳。



「うん…いる。…類の側にずっと居る…」
長い間言えなかった言葉が、自然に口から出ていた。









「その上着の内ポケットの中、見てくれる?」
病院の個室に戻ってきた類は、掛かっていた背広を指差す。



はたと気付いた時には夜の帳が降り、街灯が灯り出す。
真冬でないとはいえ、既に夜は寒い。
病院に行きたがらない類を説得し、非常階段を後にする。
校門近くでは車と、田村が待っていた。

戻った途端、鳴沢が診療をする。
現在は落ち着いているが、やはりこれ以上の外出は許可出来ないの一言。
診療を終え、病室に類とつくしの2人だけとなったところでつくしが告げる。


「…類。明日は私が一人で行く。類はここで待ってて」
「つくし…?」
「大丈夫。類の気持ちは、一緒に連れて行くから…」
つくしが自らの胸を指差す。

「マスコミの群れの中に、つくし一人放り込むのはイヤ」
「イヤ…って…子供じゃ無いんだから……。
大体が類は甘やかしすぎ。忘れたの? 私は『雑草のつくし』だよ。
『赤札』に比べたらマスコミなんて可愛い可愛い…」

襲われそうにはなるわ、車で引き摺られるわ…
あ、これは類は知らないんだっけ…?
と、一人ブツブツと言い続けるつくしの姿に思わず吹き出す。

「………なによ………?」
「…否。そうだった。つくしは雑草のつくしだったね…」

尚も笑い続ける類を上目使いで睨むのだが、類にしてみればそんな姿も愛おしい。
ひとしきり笑った後に、類がぽつりと呟く。

「……甘やかしたいよ…。こんなんじゃ足りない…。
もっと沢山……今までの分ももっともっと……」
「……え……?」
「……否。なんでも……。
判った。…明日は牧野に任せる」
言って類は、自らが着ていたジャケットを指差した。





類に言われたジャケットの内ポケットには、1通の手紙が入っていた。
裏面には筆記体で『Georg Riethmuller』と記載されている。

「…これがゲオルグの手紙。例の薬に対する謝罪が書いてある」
「…これが…?」
手元の白い封筒をまじまじと眺める。
封筒を開けようとした手を、類の長い指がそっと止めた。

「ドイツ語だけど翻訳はしてある。明日、法廷でこれを読んでくれ。
必要書類として提出しても構わない」
「……判った。確かに、お預かりします」

弁護士の顔になったつくしがそう告げる。
そのままそれを、書類の入った鞄の中にしまうと、腕時計に目をやる。
間も無く21時になる。基本的には消灯の時間だ。
類の居るのは特別室なので、ある程度の融通は付けて貰えるが、身体のことを考えると長居は良くないのが判る。

「………じゃあ……類。…そろそろ……」
「ここに居て」
「…え…?」
「ここに居てよ。今日は」
驚く程するりと類から言葉が出る。

「え…えと…その……?」
「…残念だけど、そういう意味じゃ無いから。ここ、一応病院だし」
「え!? あ…うん。そう…そうよね」
真っ赤になってうんうんと頷く。

「今日はつくしと一緒に居たい」
「……うん……」


類の言うことはつくしも感じていた。
今日は類と一緒に居たい。
一緒に居て、側に居ることを感じて、他愛も無い話をして…。
何をするでもない、そんな時間を共有したい。

ベッド脇の椅子につくしが座ると、類が手を伸ばしてくる。


「……そういえばつくし、いつ弁護士になったの?」
「……それ、何か今更だよ。類。……あのね………」

類に髪を梳かれる心地よさに身を委ねながら、つくしがぽつぽつと語り始めた。


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